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(前回までのあらすじ)楽屋でお昼ごはんを食べました。
昼からは、島田さんの「乗組員」と、粟飯原さんの「あなたとのもの語り」のゲネプロでした。島田さんの作品も粟飯原さんの作品も未見だったので、楽しみでした。
粟飯原さんの「あなたとのもの語り」は、セリフもト書きにあたる部分も、すべて俳優が発話するように書かれていました。ト書きと言うより、小説の地の文のようでした。俳優二人がイスに座って読む、シンプルな演出がなされていて、言葉によって舞台が立ち上がってくる感じがおもしろかったです。俳優は二人なのですが、登場人物は三人以上いるし、状況説明も二人で行うので、言葉が乱反射するというか、錯覚のような目眩のような感覚が起きるのを楽しみました。膨大なセリフ量なのですが、女優の三木さんがまったく噛まず、この人すげえな、と思いました。稽古も含めた3日間で、この方が噛んでる様子を見た記憶がありません。「あなたとのもの語り」は最初の20分程度の上演だったので、最後まで見たいなあと思いました。
島田さんの「乗組員」は、おそらく島田さんの地元付近の、舟で行き来する、小さな島の家、という設定でした。淡々とした会話で、登場人物の心情の機微が描かれていました。家の外では不穏な事件というか、出来事が起こっているのですが、舞台上で激しいアクションが起こることはなく、ただその様子が伝えられます。そして見ている僕は家の外を想像するのでした。島田さんの呼吸というか、生活に根付いた息づかいのようなものが感じられて、この空気は自分には作り出せない、と思いました。途中、島の自治会長さん的な人が登場して、短いシーンなのですが、島の雰囲気だったり、その人の普段の生活が垣間みれる、情報のたくさん詰まったシーンがありました。こういうシーン、書けるようになりたいなあと思いました。メインの役の一人を、宇都宮誠弥(飛ぶ劇場)にどことなく風体が似ていて安心する、yhsの櫻井さんが演じていたのですが、宇都宮誠弥と違ってセリフに抑揚がありました。でも正座が苦手そうな所は宇都宮誠弥と似ていました。安心しました。
というようなことを、学生さんたちが詳しくレポートしてくれているので、そちらも合わせてご覧下さい。
ゲネプロが終わり、舞台監督のOさんを中心に、全員で今後の流れを確認して、休憩になりました。
休憩中、Iさんが楽屋にやってきて、「夜公演後の表彰式で、一言コメントをお願いします。」と言いました。急に緊張しはじめました。紙に書いたものを読み上げてやろうかと考えましたが、一言コメントでそれはないだろうと思い、さすがにやめました。一生懸命コメントを考えていたので、他、何をしたのかはまったく覚えていません。
昼の公演がはじまりました。昼は「あなたとのもの語り」と「乗組員」の上演です。ゲネプロと合わせて2回目の観劇なので、より理解できました。「あなたとのもの語り」の、地の文にあたる部分が、なんだか夏目漱石を彷彿とさせました。粟飯原さん、夏目漱石お好きなのかな、と思いました。少し前に個人的に三四郎を読んでいたからそう思ったのかもしれません(関係ありませんが、三四郎と美穪子が家の掃除をするシーンが僕は大好きです)。昼の稽古中に、前田さんが夏目漱石っていうフレーズを出したからそう思ったのかもしれません。忘れました。夏目漱石っぽいフィルターを通して見たのでした。
「あなたとのもの語り」の上演後、転換中に前田さんと粟飯原さんが舞台上でトークを行いました。前田さんも粟飯原さんも、こういう場でしゃべるのは慣れているようでした。後から聞いたのですが、粟飯原さんは国語の先生なのだそうです。納得しました。
「乗組員」には、チロという名前の猫が登場します。あ、登場はしないのですが…難しいな、登場せずに登場します。チロという名前は、僕は犬の名前だと思うのですが、チロという名前の猫でした。昔、コロという名前の犬を僕が飼っていたからかもしれません。たしかに、犬じゃなくて猫じゃないと締まらないなあと思って見ました(北九州に帰ってきてから、チロという名前の猫が登場する話を、たまたまテレビかマンガかDVDかで見て、やっぱり俺の偏見か、と思いました)。
終演後、前田さんと島田さんと出演者のみなさんによるアフタートークがありました。島田さんは、こういう場であまりしゃべり慣れていないようでした。共感しました。サバオという、ちょっとひねくれた役を演じた小山さんが、櫻井さんから「小山はひねくれてるからなあ。」と言われ、「小山じゃねえよサバオだよ。」と返してしたのが印象的でした。「乗組員」は、登場人物に感情移入するというか、演じる俳優と役柄が同化しそうになる作品なのだな、と思ったのでした。
(前回までのあらすじ)公演会場につきました。
楽屋口に入ると、Kさんがいました。Kさんとは以前から面識があって、新婚旅行で北海道を訪れた際、飛ぶ劇場の公演を予定していたコンカリーニョの劇場下見をしたのですが、その時に案内してくれたのがKさんだったのです。お久しぶりです、とあいさつを交わしました。Kさんも今回、制作で関わっているのでした。
「こちらの楽屋を使ってください。」と案内された部屋の前に、でかでかと「前田司郎様」という紙が貼られていました。「前田さんの楽屋なんですが、お二人もここでお願いします。」と説明を受けました。島田さんと二人、廊下で突っ立っているわけにも行かないので、前田さんの楽屋にお邪魔しました。
前田さんはもう劇場に行ってるようで、楽屋内には誰もいませんでした。僕も島田さんもダウンの上着を脱いだりして、劇場に行く準備をしました。今日は夜の公演後に表彰式が予定されていたので、島田さんはお洒落な服装でした。僕も、北海道に来る直前にサンリブで買ったタケオキクチの青いジャケットを着て、お洒落でした。冬物がもう売っていなくて春物のジャケットを買ったので、鮮やかな青色です。購入する時、タケオキクチの店員さんに「ネクタイも必要ですか?」と聞かれ、わからなかったので「した方がいいですかね?」と聞き返し、「パーティーか何かですか?」と聞かれ、表彰されるんですと言うのも感じが悪いと思ったので、「…式典です、ラフな。」と答え、店員さんを困らせました。ネクタイは買いませんでした。
何度鏡で見ても、タケオキクチの青いジャケットは着慣れていない感じがして居心地が悪く、タケオキクチに自意識を持って行かれそうだったので、表彰式の時だけ着ようと思い、タケオキクチの青いジャケットは脱いでハンガーに掛けました。タツロウフジワラからタケオキクチ成分が消えました。
劇場の中に入りました。すでに舞台装置が組まれ、照明の最終調整が行われていました。まもなく、「悪い天気」の初通しがはじまるのです。場当たりとゲネプロも兼ねていました。僕と島田さんは、前から3列目くらいの真ん中に座りました。
「悪い天気」は台本は持っているのですが、ト書きを読まず、すべて俳優が動きで表現して、タイミングを重視した演出がなされていました。やりとりの面白さが感じられてうれしかったです。小道具がたくさん登場するので、みなさん、台本が邪魔そうでした。僕は、自分の作品を、自分以外の人達に立ち上げてもらったのが今回が初めてでした。数日の稽古でここまで表現してもらって、大変うれしく思いました。通し稽古の終了後、前田さんが俳優とスタッフにそれぞれ細かい指示を出し、休憩になりました。
照明が明るくなると、いつの間にか粟飯原さんもいらっしゃっていました。粟飯原さん、自力で会場まで来れたのか、と感心しました。おそらく、粟飯原さんは僕より年下なのですが(聞いてはいません)、手土産もちゃんと用意するし、大人を感じました。
楽屋に戻りました。お弁当を用意していただいたので、食べました。楽屋の中には、僕、島田さん、粟飯原さん、前田さんです。楽屋という空間に緊張したのか、前田さんに緊張したのかはわかりませんが、僕はまた、人見知りをはじめました。島田さんと粟飯原さんも同じなのか、口数が少なくなりました。前田さんはおそらく緊張も人見知りもしていないと思うのですが、もくもくとお弁当を食べていました。僕と島田さんと粟飯原さんも、もくもくとお弁当を食べました。
しばらくもくもくと食べていたのですが、大人成分を発揮した粟飯原さんと島田さんのおかげで会話が生まれました。粟飯原さんが「藤原さん、エビフライ食べますか?」と言ったので、僕は「いただきます。」と答えました。島田さんが「藤原さん、カラアゲ食べますか?」と言ったので、僕は「いただきます。」と答えました。会話っていいな、と思いました。
休憩中に、今回の当日パンフレットをいただきました。A4サイズの巻き三つ折りで、けっこうボリュームたっぷりな内容のようです。軽い気持ちで開くと、中に戯曲賞の審査員の方々の講評が載っていて、「ぎゃっ」となりました。パンフを閉じました。読みたいけれど、読んで、自分のことがけちょんけちょんに書かれていたら、立ち直れなくて表彰式どころではないと思いました。ホテルに帰ってから読むか、なんなら北九州に帰ってから読もうと思いました。
テーブルの上にパンフを閉じて置いていたのですが、どうしても内容が気になって仕方ありません。気をまぎらわせるためにスマホでもいじろうと思ったら、ドコモは電波が入りませんでした。ドコモ!
(前回までのあらすじ)小向美奈子さんの映像作品を見ました。
ロビーに降りると、すでに道庁のOさんと島田さんが待っていました。「すみません。すみません。」と平謝りしました。ペイチャンネルなんか見てる場合じゃありませんでした。
Oさんの案内で、公演会場の「かでる2・7」に向かいました。道すがら、島田さんと朝食バイキングの話をしました。1日たって、お互い、人見知りも随分なくなってきたのです。「朝ご飯、食べましたか?」「えぇ、食べました。」といった具合です。慣れたもんです。
島田さんが、「藤原さん、『カツゲン』て、飲みましたか?」と言いました。飲んでいなかったので、「何ですか、それ?」と聞きました。どうやら朝食バイキングの飲み物のコーナーにあったようです。牛乳より少し黄色っぽい飲み物で、島田さんは飲んでみたそうなのですが、似た味が思いつかず、なんとも表現しにくい味がするのだそうです。僕は牛乳だと認識して、スルーしたんだと思います。北海道ではメジャーな飲み物のようで、Oさんは子どもの頃、よく飲んでいたそうです。明日、飲んでみようと思いました。
前日で雪祭りは終了していたのですが、今日から雪像の取り壊し作業が始まっていました。結局、雪祭りはちゃんと見られなかったのですが、取り壊し作業自体も観光の対象になっているようで、わざわざ壊す日にやって来る人もいるのだそうです。取り壊し作業には自衛隊も出動します。壊すのです、自衛隊が、雪像を。作業が始まっているのか、人だかりができていて、その様子を横目に見ながら歩きました。
赤れんが庁舎(北海道庁の旧庁舎)の前を通って行きました。レンガ造りの建物で、観光スポットの一つなのだそうです。入口の門の所に、3〜4mくらいの大きさの雪だるまがありました。帰って子どもに見せてやろうと思って、歩きながらスマホで写真を撮りました(まだ見せていません。今まで忘れていました)。
赤れんが庁舎の奥に、現在の北海道庁舎があります。ものすごく大きい建物です。道内の、すべての庁がその建物に入っているということを、Oさんが教えてくれました。だから大きいのか、と思いました。けっこう古い建物だそうで、確かに、全体から年期が感じられます。Oさんの案内で、道庁の中に入り、反対側から抜けました。「かでる2・7」への近道なのだそうです。道庁のOさんならではのショートカットでした。
道庁を抜けると、目の前に植物園が見えました。北海道大学のものなのだそうです。「そういう、学科があるんですか?」と、僕が聞きました。Oさんが「あるんでしょうねえ。」と言いました。島田さんが、うなづきました。誰も正確なことがわかりませんでした。
道庁から歩いてすぐに、Oさんが「あれが警察本部です。」と教えてくれました。縦にとても大きい建物で、小倉北警察署を思い出しました。道庁とは対照的に、こちらは真新しさが目立つ建物です。お世話になる予定はないので、通り過ぎました。
島田さんが「『かでる2・7』の『かでる』って、どういう言葉なんですか?」と聞きました。Oさんが「『まぜる』とか『ふくむ』というような意味を持つ、北海道の言葉です。」と教えてくれました。島田さんは、うなづきました。僕は、実は「2・7」の方が気になっていたのですが、聞くタイミングを逃しました。創立された日かな、と勝手に納得しました。(かでる2・7のサイトには、ちゃんと由来が載っています。住所です)。
Oさんが知り合いとすれ違ったようで、あいさつをしていました。「今日は何?アイヌのあれ?」と聞かれて、「いいや、演劇の。」と答えていました。「アイヌのあれ」ってなんだろうと思って、聞いてみました。Oさんが「かでる2・7は公共のホールなので、アイヌの集まりなんかも、行われたりするんですよ。」と言いました。「あれ」は、「集まり」でした。「あれ」が何なのかがわかったことで満足してしまい、アイヌの集まりで何が行われるのかは、聞くのを忘れました。
かでる2・7に着きました。入り口の所に、1メートル半くらいの雪だるまが2つ並べてありました。僕が、「これ、冬の間中、溶けないんですか?」と聞きました。Oさんが「そうですね、3月中旬くらいから、徐々に溶けはじめます。」と言いました。溶けはじめた雪だるまは、もの悲しい気がして見たくないな、と思いました。子どもやなんかに一気にこわしてもらいたいと思いました。
小屋入りしました。
(前回までのあらすじ)シイタケを焼きました。
ようやく2日目に突入しました。1日目の日記を書くのに5日かかりました。かけ過ぎです。このペースだと北九州に帰ってくるまでに20日かかってしまいます。でも2日目と3日目は、大半の時間を観劇に費やしているので、だいぶ端折れるはずです。どうぞお付き合いください。
朝、アラームも設定していないのに6時半に目が覚めました。仕事の日にいつも起きている時間です。習慣ってすごいなと思いました。二度寝しました。
8時過ぎに起きました。支度をして、楽しみにしていたホテルの朝食バイキングに行きました。僕はこの、宿泊施設の朝食バイキングが大好きです。朝からそんなに食べられるはずもないのに、大量に皿によそってしまい、でも残すことには抵抗があるため、完食して苦しくなる、という経験を毎回しています。
エレベーターを降り、朝食バイキングが行われているホテル併設のカフェに向かいました。混雑する時間に来てしまったようで、ほぼ満席の状態です。数人の列ができています。僕も並びました。
がやがやしていたのですが、聞こえてくる言葉の大半は、やはり外国の言葉です。カフェ内の半分以上の人が、外国からの観光客のようでした。店員さんも多カ国語がしゃべれるのか、慌ただしくも的確に処理しています。
数分待って、席に案内されました。1枚、札を渡されました。片面には黒字で「食事中です。」と書かれ、もう片面には赤字で「ごちそうさまでした。」的なことが書かれていました。並べて中国語だか韓国語だかも書かれています。食べ終わったら、赤い面を上にしてカフェを出るのです。
スクランブルエッグやらサラダやら、皿いっぱいに盛って食べました。スープカレーもあったので、ガストのスープバーのような感じでカップに注いで食べました。昨夜の交流会で海鮮も食べたので、早くも「食」に関する目標達成です。でも、朝食バイキングで食べたスープカレーで、「北海道でね、スープカレーを食べてきたよ。」とは自慢できないと思ったので、やはりどこかのタイミングでカレー屋に行こうと思いました。
本日(12日)が小屋入りで、公演初日です。9時半頃に道庁のOさんがロビーまで迎えに来てくれることになっていたので、部屋で少し時間を持て余しました。カーテンをあけてみました。日が照っています。昨日よりもさらにあたたかそうです。雪も降っておらず、景色がくっきりと見えました。良い初日になりそうだと思いました。
そう言えば1日経ってしまったけれど、ペイチャンネルはまだ見ることができるんだろうかと心配になりました。昨夜はけっこう遅い時間まで居酒屋にいたので、テレビは見なかったのです。テレビをつけてみました。見れました。宿泊期間中、1000円で見れるようです。良心的でした(「たとえ1日1000円だったとしても、私は毎日、ペイチャンネルの販売機に1000円札をつっこみ続けたでしょうね。」と、藤原さんは当時を振り返ります)。
せっかくなのでラインナップをチェックすることにしました。せっかくなのでアダルト作品をチェックすることにしました。話題の小向美奈子さんの映像作品がありました。これは、法的に大丈夫なのかな、と少し心配になったけれど、公開されているのだし、せっかくなので内容もチェックしてみました。朝食バイキングを食べてきたばかりだったからか、お腹がいっぱいになりました。早送りをしながら2分くらい見て、消しました。朝っぱらから見るもんじゃねえな、と思いました。
部屋を出ました。すでに清掃の方が掃除機をかけていました。2日目にして気付いたのですが、部屋番号が点灯している所と、そうでない所がありました。部屋の中にカードキーの挿入口があって、そこにカードが挿してあると、部屋番号が点く仕組みのようです。要するに、部屋番号が消えている所は、すでに人が外出しているということです。清掃の方も、それを見て判断しているんだろうと思いました。僕の隣が島田さんの宿泊している部屋だったのですが、島田さんはすでにロビーに降りているようでした。僕も急いでエレベーターに乗りました。
けっこう書いたつもりですが、ホテルから出られませんでした。2日目も書き終えるまでに数日かかるかもしれません。
(前回までのあらすじ)稽古を見ました。一方、北九州ではキョロちゃんが暗躍していました。
前田さんと、「悪い天気」に出演する俳優のみなさんは、まだ打ち合わせがあるようだったので、僕はお先に稽古場を後にし、交流会の行われるお店に移動しました。もちろん、一人ではたどり着けないので、Hさんについて行きました。
21時を回っているので、稽古場の外に出ると真っ暗でした。昼間とは全然雰囲気のちがう町並みが目の前に広がります。歩道の脇に積まれた雪に威圧されます。雪の上を歩いて足の裏に感じる「ぎゅ、ぎゅ」という感触は、たぶん今まで数回しか体感したことのないもので、踏む快感を味わいました。それもこれも、6900円のウォーキングシューズのおかげです。昼間より一層、滑らないように注意して歩きました。寒いことは、まあ、寒かったのですが、我慢できないほどではありません。やっぱり「吹雪の中で家の修繕作業をする田中邦衛」を想定したのは間違いでした。
Hさんも初めて行く店らしく、スマホの地図を見ながら移動しました。実際、札幌駅周辺は碁盤目状に整備されていて、地元の人でない限り、どの通りを歩いているのかわからなくなります。世間話に熱中し過ぎて、店を通り過ぎ、迷子になり、何度か周囲をぐるぐる歩いた末、到着しました。「シイタケの焼き方にうるさい店」です。店の名前は忘れましたが、居酒屋で、シイタケの焼き方にうるさいんです。
お店ではすでに「乗組員」の出演者のみなさんと、島田さんと粟飯原さん、道庁のOさん、チーフマネージャーのIさんが待っていました。OさんとIさんと、例の名刺交換を行い、若干の戸惑いを与えました。
さあ、ここからが勝負だ、と思いました。僕はいわゆる、「飲み会」というものが苦手です。お酒に弱いというのもあるのですが、一番の問題は、「大人数でわいわいしゃべると、どの話題に耳を傾けていいのかわからなくなり、全体をまんべんなく聞きはじめ、結局どの話題もちゃんと理解できず、黙る。」と言うことです。単純にヘタクソなのです、そういう場での立ち振る舞いが。さらにここは北海道なので、「人見知り」という要素も追加されます。この局面をどう乗り切るかで、3泊4日が楽しいものになるかどうかが決まると言っても過言ではないでしょう。
イレブンナインという劇団の小島さんが、「あの、私、ツイッターをやっているのですが、『キョロちゃん』という方からコメントがきまして、『藤原はあまりしゃべらず、不機嫌そうに見えるけれど、単に口ベタで表情に乏しいだけで、あれはあれでいい奴なので、どうかよろしくお願いします』と心配していましたよ。」と言いました。まさか北海道でキョロちゃんの名前を聞くとは思いませんでした。キョロちゃんというのは、僕がツイッター上でよくやりとりをしている、北九州の数少ない友達の一人です。僕の交流下手を心配したキョロちゃんが、ツイッター上で小島さんにアプローチをかけてくれていたのでした。泊さんも心配して、「藤原と島田さんをよろしくお願いします。」という内容のツイッターをしていました。ありがたいことです。人見知りをしている場合ではありません。みなさんが興味を持ってしゃべりかけてくれたこともあり、僕は普段の飲み会の5倍くらいしゃべりました。実際、話題もたくさんありました。飛ぶ劇場は北海道での公演を何回かやっていて、yhsという劇団の小林エレキさんには、「大砲の家族」に客演してもらいました。泊さん個人でも、お仕事でよく北海道に来ています。はやまんの奥さんは北海道の劇団の方なので、前の週も来て飲んでいたそうです(はやまんが)。僕も、キョロちゃんの話題を中心に話を展開しました。問題は、北海道にいるのにキョロちゃんの話題をメインに展開していることですが、そこは飲み会初心者の僕にはしかたありません。yhsの櫻井さんは、風体がどことなく宇都宮誠弥(飛ぶ劇場)に似ていて安心しました。
前田さんと「悪い天気」の出演者のみなさんも合流し、改めて乾杯しました。島田さんも粟飯原さんも、出演者のみなさんから、作品の登場人物の背景やシーンの意味を、根掘り葉掘り聞かれていました。「悪い天気」は、掘り返す根っこや葉っぱのない作品なので、そういう話題では盛り上がりませんでした。良くも悪くも、そういう作品を書いたのだな、と思いました。「藤原さんは、アトピーなんですか?」「そうですね。」「藤原さんは、蓄膿なんですか?」「そうですね。」「藤原さんは、主任なんですか?」「平社員です。」というような話をしました。
七輪で大きなシイタケを焼きました。「シイタケの焼き方にうるさい店」なので、店員さんがしょっちゅうシイタケの様子を見に来て、「このシイタケは、もう食べれます。」「これは、まだです。」「それ、早く食べてください。」「しょうゆ?邪道です。」とうるさく言いました。とても楽しく交流できました。
ホテルに帰ってから、キョロちゃんにお礼のメールを送りました。「おみやげはカニでいいよ。」という返信がきました。カニのキーホルダーでいいか、と思いました。それがこれです。
本人にもまだ会っていないので、この日記が初公開です。
これを後日、キョロちゃんに渡します。
眠る前に妻に電話をし、愛を語らい、子どもの健やかなる成長を願い、いとしい我が家に思いを馳せ、私は目を閉じた。